葬儀への想い(旧葬送空間)
2017.03.19
さくら葬祭 森本智秋です。
2年程前、友人からお父様の葬儀の話を聞きました。
友人は父親っ子でお父様が亡くなったときはすごく悲しかったはずなのに、ほとんどその時の記憶が無いと話していました。
病院でお父様が亡くなり、呆然自失になっているときに病室で葬儀社から葬儀はどうするのかと矢継ぎ早に話をされたそうです。
友人にはお母様とお姉様がいるのですが、2人共泣き崩れ、とても葬儀のことを決められる状態ではありませんでした。
友人は葬儀を出すのは初めてで右も左もわからなかったのですが、今自分が決めるしかないと、葬儀社に言われるまま祭壇、霊柩車と決めていったそうです。
お母様とお姉様の希望は家族だけでひっそりと葬儀を行うというものでしたので、友人もそのつもりで進めていました。
ところが、お父様は手話のお仕事をされていたため、関係者から葬儀に参列することはできないかとたくさんの問い合わせがあったそうです。
お父様は手話の仕事にとても誇りを持っていた方です。
友人は、父の仕事に対する想いを考えると仕事関係の方にも来ていただいたほうが父も喜ぶのではないかと思い、独断で家族葬から一般葬に予定を変更しました。
実際の葬儀では300人を超えるたくさんの人達がお見えになったそうです。
友人は来ていただいた方への応対で、葬儀でも自分が悲しむ余裕がなかったようです。
葬儀で記憶に残っているのは母から言われた「笑顔で挨拶するなんて、お前は冷たい子だ」という言葉だと話していました。
葬儀が終わって友人はお母様とお姉様から「私たちは家族だけでやりたかった、なぜ勝手なことをしたのか」と責められたそうです。
友人はそこから何年にもわたって「自分が悪かったのか。自分は冷たい子供なのか」と自分を責めるようになっていったそうです。大好きだったお父様の死が、自責の念と後悔だけになってしまった友人はうつ病を患うことになります。
お父様が亡くなって10年以上経ち、やっと人に話せるようになったと話していました。
私が葬儀社で働いていること、さくら葬祭の葬儀のことを話すと、母の葬儀は是非さくら葬祭にお願いしたいと言ってくれました。
この2年の間に、友人の状況や希望する葬儀スタイルを聞いていました。
当初は音楽葬を希望していたのですが、お姉様とは音信不通で連絡が取れない、参列者も数人だということで、火葬式が良いのかもしれないと迷っているようでした。
先日、友人から母が亡くなったと連絡がありました。
葬儀の打ち合わせを進めるにあたり決めなければならないことが2つありました。
まずは葬儀スタイル。もう1つは葬儀を行う場所。
友人と友人のお母様は千葉県在住です。お母様が納骨されるお墓は町田市にあります。そこにはお父様も眠っています。
私どもが提案したのはお父様が眠る霊園に併設されている式場で葬儀を行って、町田市で火葬をし、そのまま納骨されてはどうかということでした。
友人は最初、千葉県でと話していましたが、一晩考えて町田市で葬儀をすることに決めました。
葬儀スタイルは火葬式では忍びないということで、お寺様を招いての音楽葬に決まりました。
参列者は友人と、そのまた友人の二人。お姉様とはやはり連絡がつかないようでした。
お通夜は儀式的なことは行わず、お参りとご拝顔。
その後、別室でお二人のために選んだ茶碗で抹茶を飲んでいただきました。
葬儀はいただいていたリクエスト曲を奏者が解説しながらの演奏。
そして、お坊様による読経。
最後はお父様に縁がある曲を献奏して、葬儀は終了しました。
火葬が終了し、お骨となったお母様と一緒に霊園に戻ってきます。
友人にはあらかじめ納骨の手配をしてもらっていたので、スムーズに納骨することができました。
友人からは「本当にお願いしてよかった。父のことも一緒に考えてくれて本当にありがとう。正直、母に対しては父ほど思い入れはなかったが、曲が聞こえてきたら思い出が蘇り自然と涙が流れた。父のときは泣くことができなかったけど、今度は安心して涙を流すことができて感謝しています」と言ってもらえました。
お客様の声
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