さくら葬祭の取り組み
2023.06.23
さくら葬祭は葬儀社ですが、常に大切にしているのは「おもてなしの心」であり、その根底にあるのは茶の湯の心です。
なぜ葬儀社なのに茶道を取り入れているのか、今回はさくら葬祭と茶道の関係について詳しくご紹介したいと思います。
代表の近藤がお茶の師匠であるわけでもなく、さくら葬祭でお茶会を開いたりしているわけでもありません。もちろん、お茶をたてられるわけでもないのですが、私たちはその儀式や作法ではなく、茶道にこめられたおもてなしの精神を大切にしています。
茶道は言わずと知れた日本の伝統文化です。もともとは鎌倉時代に禅僧である栄西が、禅宗の儀式である「茶礼(されい)」を日本に持ち込んだのが始まりだとされています。
お茶そのものは平安時代に中国から伝わっていたのですが、当時は飲み物というよりも薬に近いものでした。抹茶に近い飲み物として貴族や武士の間で広まっていったのは鎌倉時代であり、さらに「茶道」として完成されたのは室町時代に入ってからです。
わび茶を完成させた人物として千利休の名前を知らない人はいないでしょう。ここでおもてなしの例として、利休の逸話を集めた「茶話指月集」にある『朝顔の茶会』の話を紹介します。茶の湯を語る上で欠かせないエピソードだといわれている話です。
あるとき秀吉は、利休の屋敷の露地に咲いている朝顔がとても見事であるという評判を耳にしました。そこで秀吉は朝顔の茶の湯を所望し、利休邸を訪れます。
しかし庭には朝顔が一輪もありませんでした。すべて刈り取られており、見る影もないその庭に秀吉は非常に腹を立てます。
不機嫌になった秀吉でしたが、茶室に入って目を見張ります。そこにあったのはたった一輪の朝顔でした。床に活けられた見事な一輪の朝顔に秀吉は深く感動し、利休を褒め称えました。見事に咲き乱れる朝顔をそのまま見せるのではなく、その中のたった一輪だけを活ける。無駄なものを極力廃し、たった一輪の朝顔を際立たせるという利休の演出に脱帽します。
この逸話をどう捉えるか、人それぞれだとは思いますが、これは利休の秀吉に対する挑戦ではないでしょうか。
利休が秀吉の茶頭となって間もない頃のエピソードだと伝えられていますが、当時の時代背景から考えますと、非常に大胆な趣向ではなかったかと思います。
見事だからとそれをそのまま見せるのではなく、最高の空間を演出して見せた利休の心、これこそが「おもてなしの心」だと考えます。
この話をそのままお葬式に当てはめてみますと、お葬式の会場をお飾りすることにあたると思います。
この朝顔の茶会の話で何を伝えたいのかといいますと、お葬式のやり方は一つではないということです。
100人いれば100通りのお葬式があるといわれます。それは、誰一人として同じ人生を歩んで来られた方はいないからです。
お葬式はどのような方にとっても一度きり。その人に最も相応しいお見送りの形は何か、それを考えることが葬儀社の仕事であり、茶道の心でもある「一期一会」を体現するものであると思います。
ですから、今回ご紹介した朝顔の話が、私たちが唯一無二のお葬式を作り出している原点になるのではないかと感じております。さくら葬祭が茶道を取り入れ、おもてなしの心を大切にしている理由がお分かりいただけたのではないでしょうか。
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