音楽葬
2022.11.23
今ではさくら葬祭の看板プランとなった音楽葬ですが、お葬式での生演奏というスタイルを取り入れるまでは、とても長い年月が必要でした。
代表の近藤が生演奏の魅力に引き込まれたのは、もう20年以上も前になります。今回は初めて出会った素晴らしい演奏が、さくら葬祭で「音楽葬」として形作られるまでの物語です。
近藤が某大手互助会のディレクターだった時のことです。当時は、お葬式に生演奏などなかった時代です。
音楽を流すといっても、式の前と最後のお別れの時、BGMのようにして使われる程度でした。お寺様に読経をしていただくということがお葬式の目的であり、音楽は「脇役」にすぎなかったのです。
無宗教のスタイルであっても、読経の代わりにCDを流すだけ。今でもよくあるスタイルです。しかし、お葬式の時にわざわざCDを流す意味があるでしょうか?CDなら、故人様がご自宅にいらっしゃる時でも流せます。ご遺骨となってご自宅に戻った後でも、好きだった音楽をCDで流すということはご家族でもできることです。
では、私たち葬儀社ができることは?その方だけの特別なお葬式を作ることではないか。それはCDを流すだけではできないはず…。そのような想いが胸の内でくすぶっていたときに出会ったのが、セレモニー分野でのトップシンセサイザー奏者だったのです。
その演奏は、まさに「レクイエム」でした。故人様の御霊(みたま)を鎮め、ご家族や参列された方々の胸に響く、素晴らしい演奏でした。
この素晴らしい「生演奏」こそが、想いを形にするお葬式を作るために必要だと確信しました。
しかし当時仕事をしていた葬儀社では、生演奏は取り入れられておりませんでした。色々模索するも会社からは批判を浴びせられ、「すべてのお客様に特別なおもてなしを提供する」という近藤の思いも、実現はできませんでした。
会社を移って、生演奏を取り入れる活動をするも、また抵抗にあいます。非難もされました。一向に、やりたいことが実現できない日々が続きます。
そしてさくら葬祭に移り、寝食忘れて仕事を一からやり直しました。当時の社長は寛大でしたので、「音楽葬」を自由にやらせてもらえました。ここへきて、やっと「唯一無二のおもてなし」ができる道が開けたのです。
さらにそこから5年の月日が流れ、近藤はさくら葬祭の代表取締役に就任します。生演奏をお葬式のプランに組み込み、もっともっと音楽葬を広めていきたいという想いをようやく実現することができました。
そしてこのとき、12年前に出会ったトップシンセサイザー奏者を、さくら葬祭の専務取締役音楽部長として迎え入れることもできました。
さくら葬祭の音楽部長は、セレモニー奏者として音楽事務所を立ち上げた人でした。当時はまだセレモニー奏者という概念もなく、奏者を集めるのも大変な状況でした。
そのようなとき、まだ互助会のディレクターだった近藤と出会い、本当の意味での「音楽葬」が誕生するのです。
当時はまだ、お葬式で三重奏、四重奏をするというのは一般的ではなく、有名人のお葬式くらいしか見かけることはありませんでした。
しかし、近藤ディレクターから提案される様々なアイディアや要望を取り入れながら試行錯誤を重ね、新しい音楽葬のスタイルを確立させていきました。
音楽事務所ではシンセサイザーの演奏のみでしたので、弦楽器奏者を確保するのが非常に大変でした。街で楽器を持っている人に声をかけてみたこともあります。
そのような中で近藤ディレクターがさくら葬祭の代表取締役に就任したことから、音楽部が誕生しました。ようやく、スタートラインに立てたのです。
近藤の目指すレベルは非常に高いため、並の奏者ではとてもついていくことができません。何度もお叱りを受けながら、徐々にみんなで力をつけていきました。
当時と比べてセレモニー奏者が社会でも認識されるようになってきましたし、インターネットの普及によって募集をしやすくなったこともあり、奏者のレベルもどんどん高くなってきました。
現在では、一流音楽大学を出た一流の演奏者が応募してきてくれるようになり、嬉しい限りです。
さくら葬祭の音楽葬は、スキルの高い奏者がいて初めて成り立ちます。これからも、最高の演奏を目指して音楽部全体でレベルアップしていきたいと思っています。
さくら葬祭が生演奏にこだわるのは、一流の奏者の演奏にはCDにはない力があるからです。
お葬式で聞いたあの曲、あのメロディーを、ふとどこかで耳にしたときに、故人様の温かい思い出に浸ることができる。それこそが、本当の意味での供養ではないでしょうか。
私たちさくら葬祭が目指しているのは、故人様の御霊を鎮めるだけでなく、その場にいる方々の心に残り続ける本物の演奏です。CDを流すだけでは決してできない心を癒すお葬式は、生演奏にこそできるものだと確信しています。
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