音楽葬
2022.11.30
本格的な生演奏の音楽葬というスタイルは、まだまだ一般的とはいえません。そのためか、全く新しいお葬式のスタイルだと思われることもありますが、そうではないのです。
さくら葬祭の音楽葬は、お葬式本来の意味、古くからの慣習を度外視したようなものではなく、基本の型を押さえたうえに成り立っているものです。そして、その根底には何よりも大切な「おもてなし」の心があります。
今回は、型とは何か、本当のおもてなしの心などについてお話ししたいと思います。
先日、市川海老蔵さんが市川團十郎の十三代目を襲名した公演についての記事を読みながら
、スタッフとこんな話をしました。型があってこその型破りだよね、という話です。
公演とは関係のないことであれこれと個人を叩いている記事でしたが、その中に故・中村勘三郎さんが語った言葉がありました。
「型があるから型破り、型がなければそれは形なし」
「型破り」というと、何やら破天荒な、新しいことを始める画期的な人のような言い方として使われることもある言葉です。風変わりな人、という意味で使われることもありますね。
しかし本来は、慣行として決まっている型にはまらないという意味ですから、元になる「型」があるはずなのです。
この勘三郎さんの言葉の意味は、型があってこそ、それを破ることができるのであり、何もないのに破るということは単なる「形なし」だということです。
元の型があるものをアレンジしていくのが「型破り」ですから、まっさらなところから新しいことを始めるのではありません。
音楽葬も同じことです。お葬式の基本の形をきっちりと押さえたうえで、お一人お一人にあった形にアレンジしていく、それがさくら葬祭の音楽葬です。
お葬式の場で音楽を流せば音楽葬になると思い、簡単に始める葬儀社もあります。しかし、型はどこへ行ったのでしょうか。
お葬式の本来の意味を忘れてはならないと思います。お葬式とは故人様の御霊を鎮め、家族や参列した人が最後のお別れをする場であり、安らかに眠れるようにと祈りを捧げる場でもあるのです。
お葬式のあるべき姿を考えず、ただ音楽を流すだけ、しかもCDをかけるだけのお葬式を音楽葬とはいいません。それは型破りでもなんでもなく、ただの「形なし」です。
まさに、基本があってこその音楽葬。だからこそ、「型があるから型破り、型がなければそれは形なし」という勘三郎さんの言葉が、ずっしりと私たちに響いたのでしょう。
「おもてなし」という言葉も、本来の意味とは全く違う意味で使われることがあります。
何か日常とは違うこと、奇をてらったサプライズのようなものがおもてなしだと考えている人が多いですが、さくら葬祭の考えるおもてなしは違います。
おもてなしとは相手のことを思いやり、細かい気遣いをすることだと私たちは考えています。
「これがおもてなしである」という明確な基準がないがないため、何をすれば良いかわからないという人も多いと思いますが、もっと簡単に考えても良いのではないでしょうか。
たとえば、階段を踏み外すかもしれない、という人がいたらとっさにお声がけする。その場その場で、相手のために最善のことをしようとする心がおもてなしだと思います。行動に表してこそ、思いやりの心は相手に伝わるものですね。
日常のあちこちに、おもてなしの心は埋もれています。それを目に見える形で仕組み化したものがサービスです。
私たち葬儀社にとっては、一定レベルのサービスを提供し続けることも、おもてなしのひとつだと考えています。
また、おもてなしという言葉は、「裏表がないこと」という意味からきた言葉だともいわれています。お客様を心から誠実にお迎えするという心、それこそが本当のおもてなしだと思います。
音楽葬というと、画期的な新しいスタイルのお葬式だと勘違いされてしまいがちですが、最初にもお話しした通り、基本の型があってこそ成り立つものです。
故人様の思い、そして見送るご家族の思い。その思いを丁寧に形にしていくことが私たちの使命です。
古来のお葬式の作法や慣習を熟知したうえで、お一人お一人にあったお葬式にアレンジしていけるのは、私たちに基本となる「型」があるからです。
これからも型を大切にしながら、お客様を第一に考えた「おもてなし」の心で唯一無二のお葬式を作ってまいります。
葬儀についての資料を
ご送付いたします。