なずな日記
2018.04.13
唐突にお通夜の思い出を書きますが、よろしくお付き合いください。私だけのお通夜を思い出したのです。
お通夜は本来、故人と親しい人達が別れを惜しんで夜通し過ごすものだそうですが、今はずいぶん意味合いが変わりました。
今は、仕事の関係で告別式に出られない場合に参列することが多いようです。地方によっても違いますが、以前であれば、何の用意をする間もなく、取り急ぎ駆け付けたという意味で地味な色の平服で来るのがマナーでしたが、そのような事情もあって、喪服を着て参列する人が多いようです。
父の喪主をつとめたことがあるとはいえ、あの時は直葬だったので儀式らしいことはほとんどありませんでした。だからこれが初めての喪主のようなものです。
料理や遺影の打ち合わせは、おいちゃんのお姉さん達が主に決めてくれました。今思うと、自分で決めたことより、周りの人に決めてもらったことが大半です。料理も、どの程度用意すればいいのかわかりませんから、そんなときはさくら葬祭の担当者である和田さんが、アドバイスしてくれました。
お通夜当日は式の始まる1時間ほど前に会場に入り、さくら葬祭の代表で司会をする近藤さんから、おいちゃんや会葬者への挨拶をどのようにすればいいかなどを教わりました。
傍から見ると危なっかしかったかも知れませんが、自分ではそこそこうまく喪主の務めを果たしたように思っていました。
お通夜の時間は2時間くらい。参列者は思い出話に盛り上がって、かなり遅くまで談笑していました。
翌日の葬儀は午前中なので、お姉さんや姪のととみちゃんと、斎場内にある畳の部屋に泊まりました。お風呂はついていません。すぐ隣の会場には、おいちゃんが眠っています。私は夜、何度も起きて、おいちゃんの顔を見に行きました。
明日になればおいちゃんの姿は焼かれてなくなってしまう。今見ておきたい。
おいちゃんの顔が、なんだかむくんできたように見えます。この棺はドライアイスのせいなのか、おいちゃんの顔が見えるガラスは冷たくなっています。だけど、夏のことだし、ずっとうちに置いていたから、少しずつ腐敗が進んでいるのでしょう。死んでしまった細胞は、時間に従って変化していきます。
生き返るかも知れない…そんな切ない望みは、時々スピリチュアル系の物語に出てくることがあります。
本当は生きているんだよ、これをどうやって知らせればいいのか?亡くなったと思っていた人が何らかの方法で生きていることを知らせ、残された人の流す涙が、悲しみから喜びの涙に変わっていく…
でも、これはやはり架空の物語です。こうやっておいちゃんは死後の変化を遂げている。ラストメイクの技術のない昔なら、人相はもっと変わっているのでしょう。
おいちゃんが消えて、なくなってしまう。もう私には、いえ、誰にもそれを止めるすべはありません。せめて今はおいちゃんとの別れを惜しみたい。
真夜中の葬儀会場は、私にとって怖いものではありませんでした。できればここに布団を敷いて寝たいと思いました。おいちゃんの眠っているこの隣に…
いま思うと、亡くなったおいちゃんと共に過ごしたあの一夜が、本来のお通夜の形だったのです。
でも、それは形から入ったのではない、私の気持ちから入った本当のお通夜だった。そのことにふと気づいたのです。
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