なずな日記
2018.06.14
運動は苦手なのに、どういう訳か長距離だけは速いことに、30を過ぎてから気付きました。きっかけはホノルルマラソンに参加したことです。当時はマラソンブームのはしりで、ホノルルマラソンは日本人に人気がありました。
テレビでたくさんの人が、ホノルルの街を走っている光景を目にしたり、走った人の話を聞いたりしているうちに行ってみたくなりました。
「おいちゃん、ハワイへ行こうよ」
「そうだな、どうせならマラソンも走ろう」
「完走を目指して練習しよう!」
おいちゃんと二人で土日、近所を走りました。
練習のときは一緒に走るから、どちらが速いかわからなかったのですが、ホノルルマラソンのゴールは私の方が速かったのです。
おいちゃんは、その時は信じられなかったようでしたが、2回3回と私が勝ち続けると、ようやくなずなは速いんだ、ということを認めたようでした。
それからずっと二人で走り続けました。しかし、おいちゃんはいつの間にか走らなくなり、私一人で走る日々が続きました。
そして時は過ぎ…
私にも走るのを中断した日々がありました。ガンで入院した時と、おいちゃんが亡くなったときです。
ガンで手術した時は、退院して10日目くらいで走り始めました。
抗がん剤治療中も、筋トレやランニングを続けました。抗がん剤治療した日に運動をすると、心臓がドキドキして、まるで酒を飲んだ後に運動したようでした。そのうち髪の毛は抜け落ち、運動のときはバンダナを巻くことにしました。
その姿に、知り合いの男性が驚いています。
「どうしたの、その頭!」
私は笑顔で答えました。
「抗がん剤で禿げちゃって…」
そしてその後、ある日おいちゃんは突然、帰らぬ人となりました。愛する人が亡くなった、その悲しみに、何をする気も起きませんでしたが…
おいちゃんの葬儀が終わって10日目に、私は走り始めました。夏の暑さの中、日焼けをしないように日焼け止めをたっぷり塗って、帽子をかぶり、サングラスをかけて走ります。
走りながらおいちゃんを思い出して、涙が出ることもありました。そんなときも、大汗とサングラスでどうにかごまかすことができるのです。タオルで汗を拭くふりをして、涙を拭いて、また走り出します。
いつものコースを、普段よりずっとゆっくり走りました。鳥が運んで芽が出たらしいバラいちご、おいちゃんが生きているときは、たわわに実っていたのに、今はいくつも残っていません。
夏の日は長くて、家に帰ったのは6時過ぎですが、まだ日は高い所にあります。
すでにまとめておいた風呂道具を持って、これからフィットネスクラブの風呂に向かいます。
テーブルの上のおいちゃんの写真に向かってにっこり笑う。
「おいちゃん、また表彰台に上がれるかしら?」
私は何回か入賞して、表彰台に上がったことがあります。おいちゃんはその前で、にこにこしながら写真を撮ってくれました。
「いやあ、うちの奥さんは速いんだよ」
そんなことを周りの人に言いながら。
おいちゃん、足の速いのはいいけど、生きることを早く終了させるのは良くないな。
そう呼びかけましたが、写真の中のおいちゃんはこんな風に返します。
生まれることと死ぬこと、これは天が決めたことだから、仕方ないんだよ。
そうか、仕方のないことなのか。命のゴールでは、おいちゃんが私を待っているんだね。
ゴールまで、頑張る。
葬儀についての資料を
ご送付いたします。