なずな日記
2018.01.25
毎日おいちゃんの遺骨を抱いて過ごしていた頃、わざわざ遠いところから来てくれた二人の友だちがいました。二人とも名古屋近辺に住んでいます。一人は在家の尼僧で、仕事で東京に来ることもありますが、もう一人、Mさんは仕事を持った主婦です。時間を取るのも大変だったことでしょう。この方は理不尽な交通事故で大切なご子息を亡くしました。やさしくしてくれる人は、自身も悲しみを知っている方が多いと感じました。
二人はおいちゃんの、白い祭壇に向かってお参りしてくれました。
「ご主人は、本来いるべきところに帰ったのよ」
尼僧であるS師は言いました。
「帰ったんですか?」
私は思わず知らず、涙を流しました。
「そうよ。この世にはほんのいっとき修行に来るだけなの。本来いる場所はあの世なのよ」
おいちゃんは、本来いるべきところに戻っただけなのか。カトリックでも、あの世に行くことを帰天、天に帰ると言うことは後で知りました。宗教はアプローチが違うだけで目指す所は同じだとも、S師は言いました。
死別、こんなつらい目にあうなんてひどい、そう思っていましたが、この世に生きていることが修行であるならば、つらいのは当たり前のことかも知れません。
S師は、人は病気や事故で死ぬのではなく、寿命で亡くなるのだと言います。
それならおいちゃんは寿命が来たから亡くなって、私は癌でも寿命が来ないからまだ生きているのですか?私が聞くと、S師は答えました。
その通り。ご主人となずなさんは、魂レベルではご主人が長生きできないとわかっていた。だから日常ずっと一緒にいたのよ。
おいちゃんは事務所を外に持たないで、自宅を事務所にしていました。だからほとんどの時間は、いつも二人でいました。もちろん旅行も、趣味のランニングも一緒でした。
それはフィットネスクラブのオバちゃん仲間にも言われたことでした。
「畦道さんのご主人は、早死にだったけど、一緒にいる時間は80歳くらいまで生きていたのと同じじゃないの?」
おいちゃんは49日まではこの世にとどまって、皆に別れの挨拶をしていくそうです。そして挨拶が終わったら、あの世に旅立って行くそうです。
S師は天井付近を指さしました。
「きっと今、あそこら辺にいて、こんなに早く、悪かったな~って言っているわよ」
Mさんはそれから毎日、夜8時くらいになると電話をくれました。なんということもない会話をして数分で終わりですが、有り難く思いました。でも、2、3週間たった頃、いつまでも厚意に甘えていてはいけないと思うようになりました。
その日も夜8時くらいに、Mさんからの電話がありました。
「どうしてる?」
いつも通りの優しい言葉。
「毎日電話ありがとう。でも、もう大丈夫」
「そう?少しは元気になった?」
「うん」
毎日電話してくれてありがとう。これから一人で元気にやって行けるよう、努めます。人の温かさに気付くのは悲しみに打ちひしがれたときです。知っている人ばかりではなく、見知らぬ人からも慰められることがあるものです。
おいちゃんが亡くなって、しなければいけないことは葬儀だけでなく、たくさんありました。
市役所に行って、健康保険証解約の手続きをして、自分の保険証も作り直しました。今までおいちゃんが世帯主だったけれど、これからはなずなが世帯主になった保険証になりました。ついでに葬祭費の請求や、印鑑登録の抹消なども。
銀行や年金の手続きもしなければなりません。なずなの父が亡くなったときも様々な手続きをしてきたけれど、その時はおいちゃんが代わりにしてくれました。今度はすべて自分でしなければなりません。まるで子供が大人に交じって慣れない手続きをしているような気がしました。
年金の手続きをしに行ったときは、担当してくれた女性が
「早過ぎますよねえ…」
とぽつりと漏らしました。
銀行に名義変更の手続きをしに行ったとき、女性行員が極めて淡々と手続きをしてくれました。そして帰り際、わざわざカウンターの外に出て、
「お体にお気を付け下さい」
と声をかけてくれました。
役職を離れた心からの声に、返事をするとそのまま泣き崩れてしまいそうで、黙って頷くと席を立ち、泣き顔を見られまいと足早にそこを後にしました。
涙を流すのは、決まって優しい言葉をかけられたときです。人の思いに感謝します。
人の思い、それはいいことばかりではありません。あまり思い出したくないこともありました。
そして、ひどいことをされたときに、涙はこぼれないもののようです。
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