なずな日記
2018.02.25
おいちゃんが亡くなってひと月くらい経った頃でした。まだまだ心は傷だらけで、泣いてばかりいました。
そして、亡くなったおいちゃんのために何かできることはないかと思い始めた頃でもありました。
亡くなった人を安らかに送るための供養のようなこと…何かしてあげないとおいちゃんは迷ってしまうんじゃないか?死者は49日まではこの世にいる。今のうちにできることをしてあげたい。
そんな時、以前から知り合いの女性から連絡がありました。
「ご主人に最高の供養がありますよ。私と一緒に行きましょう」
おいちゃんの供養になることなら、何でもしてあげたいと思っていた矢先でしたので、その話に乗りました。彼女、C子さんは以前からの知り合いで、聡明な感じの、優しい人でした。
連れていかれたのは、とある大きな駅近くの雑居ビルでした。ここでお祈りしてもらうのが、供養になると言うのです。お祈りは1時間以上かかるということなので、C子さんには帰ってもらいました。
私が料金を支払うと、一つの部屋に連れていかれて女性祈祷師に、お祈りをしてもらいました。祈祷師と言うと胡散臭い感じがありますが、アラフィフと思われるその人は、服のセンスもいい、まったく普通の女性でした。
私は流れる涙を押さえながらお祈りをしてもらいました。あまりにも真剣な私の態度に、その人も感動したようでした。
ここは後でわかったのですが、神道系新興宗教の支部でした。その時は何かのサークルのように思っていました。そして、ここへの入会を勧められました。
「ご主人の供養にもなるし、これからも心豊かに過ごせますよ」
普段の私なら、きっと入会するどころか、ここにすら来なかったと思うのですが、
「供養」
この二文字はたまらなく私を引きつけました。その人はさらに続けました。
「今決めれば、2か月分の会費が無料ですよ」
まあ!それはお得!
「入会します」
入会の手続きをして、これもおいちゃんの供養になるからと、B4くらいの紙を何枚か渡されました。その紙には何十と言う「人助け」という文字が薄く印刷されていました。これをなぞってすべて書き終えたら、一枚5円以上を支払って奉納するのだそうです。
私は家に帰ると、その紙をテーブルにおいて「人助け」の文字を鉛筆でなぞりました。その日から毎日「人助け」の文字を書きました。文字を書いていると無心になって、おいちゃんがいない悲しみを忘れることができました。
この宗教団体からは何日かに一度、宅配便が送られてきて、「人助け」の紙や、願い事が叶うと言うお札が送られてきました。願いを受け入れてもらうためには、数百円からの寄付が必要ですが。
C子さんは、送られてくるお札の中にある10センチ四方くらいの紙に自分の名前を書いて、息を吹きかけると気分がすっとすると言います。なので名前を書いて息を吹きかけてみましたが、全然すっとしません。説明のパンフレットには、
「すっとなるまで何枚やっても構いません」
とありますが、一枚いくらの寄付をしなくてはなりませんので、そんなことをしたら、お金がいくらあっても足りません。一回でやめました。
「頭が良くなるお札」や、「体が丈夫になるお札」などが、数日ごとに大量に送られてきます。パンフレットには、
「信じられないかも知れませんが、本当に効果があります」
など書いてあります。お金を払っていくつかお札を奉納したこともありました。
書きあがった「人助け」の紙は、いつまでも家に置いておくと体調が悪くなるので、早めに奉納した方がいいとパンフレットにあります。いつの間にか溜まってしまった「人助け」の紙を慌てて奉納しました。もちろん、奉納のときには、こちらがお金を払うのです。一枚5円が基本ですが、もっと払えばそれだけご利益が多くなるという話でした。
はじめは何も考えずに、言うことに従っていましたが、そのうちに私の頭にいくつものハテナマークが浮かぶようになりました。
地獄の苦役にすら付けない先祖は永遠に苦しみ続けるしかないかわいそうな霊達で、唯一彼らを救うことができるのはこの宗教であると、不安をあおります。
守護霊チェンジの秘法を受ければ、今いらっしゃる守護霊より霊格の高い守護霊に替えてもらえるそうです。しかし、何の努力もなしにそんなことが可能なのか?第一、追い出される今の守護霊に失礼ではありませんか。
何より変だと思ったのは、神道系の宗教なのに、なぜか仏壇や位牌を販売していることです。おいちゃんの家は、今はカトリックですが、昔は神道でした。何代か前の先祖と、そして戦争で亡くなった方は神道の決まりに沿った祭具にお納めしています。正しい神道の祭具ではなく、なぜ仏具を販売するのか?
これらの疑問が膨らみ、私はこの宗教を退会することにしました。電話一本で退会できました。会費は自動払いでしたが、すぐに解約できました。
入会を勧めてくれたC子さんは、はじめは怒っていました。
「疑問に思ったことは聞いてくれればよかったのに!」
でも、仕方ないと思ったのか以降、何もなかったかのような態度で接してくれました。
私に宗教に入信するという気持ちは希薄でした。供養になることをしたい…その気持ちがいつの間にか宗教団体に取り込まれることになってしまいました。
しかし、「人助け」の文字を書くことによって悲しみを忘れることができたのも事実だし、C子さんは、その後まったく普通に接してくれています。基本的にいい人なのです。本当に良かれと思ってこの宗教を勧めてくれたと思っています。でも、私には合わなかった。そういうことです。
心弱いときに、近づいて来るのは新興宗教だけではありません。さて、次は何がやって来たでしょうか?
(注)宗教団体のことは、若干変えてあります。
葬儀についての資料を
ご送付いたします。