さくら葬祭
近藤様
森本様
益々ご清祥のことと存じます。
先日父の葬儀を執り行って頂きまた不幸にもその後母の葬儀も執り行って頂き誠に有難うございました。
父は2年ほど前から痴呆の症状がではじめ、家族でなんとか介護をしていたもののとうとうやむを得ず特別養護老人ホームに入居いたしました。最期まで「家に帰らせてくれ」と願い実現出来なかった事、心苦しい想いをしておりました。
父が逝き心苦しさから開放されないまま、兄が連絡したさくら葬祭の近藤社長がいらっしゃって正直はじめは葬儀に期待もございませんでした。
たんたんと父のために決め事を進めようとしている中、近藤さんからお優しい言葉があり、その中に、父への敬意を感じました。
それは痴呆をわずらった父への目線ではなかったのを覚えています。
介護というのは不思議なもので、どんどんと相手が出来ないことが増えれば、病院の先生もヘルパーさんもソーシャルワーカーも本人をどこか子供のような目線で扱うようになっていきます。私もだんだんとそれに慣れてしまい、近藤さんが父をしっかりとしたもっと元気だった頃の父のように扱ってくださってるんだと「はっと」しました。
それが本当に嬉しくて「そうなんです、父はいろいろとボケてしまいましたが、それ以前は本当にしっかりしており仕事に熱心な人だったんです」と思わず声に力が入ってしまいました。
そしてだんだんと、「これじゃだめだ、しっかり父を見送ろう」そんな想いが芽生えたのを覚えております。その感覚は葬儀終了後には、実感となり私の心に深く刻まれました。
あんなにも時間が短い中、写真の加工やお花の手配、父の職業を意識して花祭壇をオリジナルで創ってくださったこと。
提案されければ、思いもつかないような父の思い出の品々の展示。
仏葬儀の中に、素晴らしい生演奏をつけていただき父の大好きだった加山雄三さんの曲が流れ、家族全員が一体となることが出来ました。
さらに、その1ヵ月も経たない間に、母が急逝し、その際も父とは全く違う母らしい式にしてくださいました。
その両方の式で、「最期をしっかりと見送れた」という充実感があり、介護にベストを尽くせただろうか、父や母は満足であっただろうかという罪悪感のような心残りの思いをやわらげて頂きました。
最後に、
和田さんが母をおんぶして階段を登ってくださったこと。忘れません。
素敵なサラ・ボーンの演奏をしてくださった奏者さんも、忘れません。
どうかみなさまお体を大切にされてこれからもお仕事続けてください。きっと私のようなものが救われるのじゃないかと思っております。
くれぐれもお体を大切に。
お礼まで。
(ご返事不要です。)
〇〇〇〇
葬儀についての資料を
ご送付いたします。